前向きに考える日本の未来
「日本列島を、強く豊かに。」と書かれたポスターを最初に見かけたとき、思わず笑ってしまった。笑い事ではないのだけど、笑ってはいけないことほど、余計に笑えてしまう。こんな浅ましい上に現実味のない願望を恥ずかしげもなく、よく堂々と晒せるものだと、人間の自己欺瞞能力に感心してしまう。2026年、差し迫った現実を前にしても、自分たちが置かれている状況を見ようという気配はない。
「順位が落ちているとはいえ、今でも日本はGDP○位の経済大国です」といった前置きをして、ポシティブな主張を続ける言説は、しばしば耳にする。“一人あたり"のGDPが何位かを耳にすることはほとんどない…
GDPという指標がどの程度何の目安になるのかは分からないけれど、それなりに大きな経済活動をしていることは確かに間違いない。それは、大きな経済活動を維持しないと現状を維持できないということを意味するのであって、大きいから安定ということではない。むしろ元から低空飛行していれば、ダメージも小さいのだろうけど。
ただ追い抜かれていくだけなら、大した問題ではない。しかし現実には、すでに経済がグローバルに密接につながってしまっている。この状況において、相対的な停滞は、単に「順位が下がる」以上の深刻さがある。世界の技術、資本、人材、生産能力が急激に向上する中で、他国で生み出された価値を購入する力が弱まり、資源や食料、エネルギー、先端技術など、国境を越えて取引する力は低下し、以前と同じ生活水準を維持することは難しくなる。
日本を主語にして何かを語ることよりも、本当に大切なのは、そこにいる一人ひとりの生活だ。「日本列島を、強く豊かに。」しようとする政党や、ましてや「日本ファースト」を謳う政党を選んでしまう国民に、平等な分配に向かうような社会の変容を期待できない。既存の経済は崩れると同時に、格差はさらに広がるだろう。
一番前向きな軟着陸の形を考えてみると、海外資本に日本の経済を乗っ取ってもらうのが、一番マシのように思えてくる。その場合、いかに海外資本からおこぼれをもらえるポジションに着くかが肝要になる。彼らからみて尊重される存在と見做されるように、関係を築けるだろうか?どうでもいい存在として見捨てられるならば、悲惨な未来になるだろう。今の世界を見渡せば、システムを介して非人道的な境遇を生み出してきた実績には枚挙に暇がない。
というような現状で、一人の日本人として何をやるのがいいか、考えてみる。
ある意味での「日本」という組織体は失われつつあるとしても、日本人の精神は残すことができる。いらない部分は捨てて、いいところだけ残すことができるのなら、整理整頓のいい機会でもある。日本人の精神を宿す肉体が、古来からの日本人のDNAを引き継いでいる必要もないし、外国人の中に日本を作る、ことを指針として生きていくのはどうだろう。