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JOJOLOGY 付録: 王道について

昭和初期、ちびっこたちは紙芝居に夢中になっていた。特に人気を集めたのが「黄金バット」だ。黄金バットが即座に現れて圧倒的な力で悪を倒す──その明快な展開は、まさに王道的な勧善懲悪の物語として親しまれていた。単純な骨格をもつ物語であっても、語り手の肉声が息を吹き込むことで、子どもたちは目を輝かせながらその世界に引き込まれていく。そこには表情や間、語り手の経験が織り込まれ、豊かな芸の世界が息づいていた。この芸を通じて勧善懲悪の物語は共同体の体験として共有されていき、秩序への安住の気持ちや悪に対する拒否感が自然と内面化されていった。

子どもたちのメディアが紙芝居からアニメに移ってからも、勧善懲悪の物語は日本の子ども向けコンテンツの中心として消費され続けた。大人にとっても勧善懲悪は大衆エンタメとして取り扱われやすいテーマである。特に大岡越前や水戸黄門などの時代劇は勧善懲悪ものとして象徴的であった。大岡越前の物語は、もともと江戸時代に「大岡政談」として講談などで語られてきた説話を基にしている。庶民の味方として人気者だった名奉行の見事な裁きを聞こうと、江戸の町家や茶屋、賑やかな町角で、人々が集まり一心に聞き入る姿、また語り手が身振り手振りを交えて話す様子が目に浮かぶ。勧善懲悪ものは世界各地に見られる物語の構造であるが、集団調和を重視する日本人との親和性が高いように感じる。

そんな勧善懲悪の物語も時代の流れとともに移り変わる。語り手の肉声はブロードキャストされた音声に置き換わり、秩序の規範形成の役割も地域共同体から学校、さらには制度、公権力へとシフトしていき、その他諸々の出来事の末に、いつからか勧善懲悪という言葉からは白々しさしか感じられないようになっていた。それは正義を装った秩序がむしろ不正を繰り返してきた帰結でもあるだろうし、もう一方では、異なる価値観や文化、社会体制がぶつかり合う現代において、単純な正義対悪の構図では捉えきれない現実を誰もが認識するようになったことにも起因すると考えられる。そのため、近年の物語作品には、従来の単純な善悪二元論を超えて、相手側の正義や価値観に対する理解や想像力を促すテーマを扱う傾向が見られる。

もともと王道とは孟子による儒教の教えに由来する。それは力によらず徳と礼によって民を治めるという教えであり、そのような理念を伝えるための物語が王道と呼ばれてきた。信用ならないシステムと多様な価値観が入り乱れる現代社会では、市井の人々が信じられる王道は消失した。長い歴史の中でじっくりと築かれてきた王道は、表層的な発展だけを評価基準にする社会において、もはや存在しない。市場原理が内面化していく中で、人気や売れ筋が王道の基準に移っていき、反比例して、普遍性を失った物語が時代の娯楽として消費されることになる。

現代の王道は道を踏み外したようだ。どこで間違えてしまったのか。

マハトマ・ガンディーは、差別と不正な法制度に対抗する中で、従来の暴力的な闘争とは異なる新しい抵抗運動の形を模索した。彼が目指したのは、相手を敵視するのではなく、根源的な真理を通して相手の心に訴え、対話と自らの役割に応じた正しい行為をもって不正をただす道であった。この運動は、単なる「暴力の否定」や「消極的抵抗」ではなく、むしろ積極的で精神的な闘争である。真理を最上の価値とし、それを固く堅持することによって社会や政治を変革するこの思想を広めて、集団的実践へと導くために、この思想を一語で象徴的に示す言葉が必要であった。ガンディーは熟慮の末、この運動に「サティヤーグラハ(सत्याग्रह, Satyagraha)」と名付けた。それは、「真理(サティヤ)を掴んで離さない(アーグラハ)」、つまり真理への献身による変革の意志を表すスローガンであった。「サティヤ」という語の語根はサンスクリット語の「sat」であり、この語は、ヒンドゥー教の聖典であるバガヴァット・ギーター(以下、ギーター)に定義されている。

サット(sat)という語は、実在という意味と、善という意味で用いられる。また、サットという語は、讃えられる行為について用いられる。
 そして、祭祀と苦行と布施における(究極の)境地がサットと言われる。また、それのための行為もサットと呼ばれる。「バガヴァット・ギーター 第17章26–27節」上村勝彦 訳 (岩波文庫)

ガンディーが重視した真理は、単なる事実の記述や経験的な正しさを意味しない。サンスクリット語の語根 sat が示すように、それはまず「実在」としての確固たる在り方を指す。変化しゆく現象の背後にある、揺らぐことのない本質的な「存在」が sat の第一義である。同時に sat は「善」を意味する語でもあり、存在の本質はそのまま価値の根源でもあると理解されてきた。つまり、何が真に「ある」かを見極めることは、そのまま何が「良い」かを見極めることにつながる。そして、この行為は讃えられる

ここで真理は存在論的な実在と倫理的な善を媒介するものとして位置づけられている。真理とは、主観的意見でも、単なる論理的正しさでもなく、実在(あるべき姿)と善(あることが望ましい姿)を一致させる行為的な態度である。ガンディーにとって真理とは、世界の深層にある実在に誠実であろうとする意志であり、その実在にふさわしい善をこの世界に実現しようとする実践であった。

文字が発明される以前から、人々は物語を語り継ぎ、それは共同体が秩序を維持するための価値観を共有する装置として機能してきた。古代の物語は、神々や英雄の活躍を通して世界の起源や秩序の根拠を示し、人間存在の根底にある問いに体系的に応えようとする性質を持っていた。ギーターが真理の啓蒙を必要としたという事実は、人が容易に真理を見失う危うい存在であることを、古代の人びとが既に深く理解していたことの裏返しでもある。当然、ギーターには人が真理を歪め、迷妄に陥る様も含まれている。

彼らは満たし難い欲望にふけり、偽善と慢心と酔いに満ち、迷妄のために誤った見解に固執し、不浄の信条を抱いて行動する。
 彼らは、限りない、死ぬまで続く思惑にふけり、欲望の享受に没頭し、「これがすべてだ」と確信する。「バガヴァット・ギーター 第16章10-11節」上村勝彦 訳 (岩波文庫)

人は真理から目を背けると、代わりに自分に都合のいい解釈を作り上げてしまう。その結果、誤った理解があたかも確固とした信念であるかのように感じられ、真理は簡単に覆い隠されてしまう。これは数千年前から人類は分かっていることであるにも関わらず、私たちが依然として学びきれていない普遍的な教訓である。

バガヴァット・ギーターは、インド神話の大叙事詩『マハーバーラタ』の中でも、とりわけ思想的中核を成す第六巻から独立して取り出された教えである。「マハーバーラタ」は、全十八巻・約七万五千詩節から構成される壮大な物語である。数百に及ぶ登場人物が現れ、二つの王族の間で繰り広げられる激しい権力闘争を中心に展開する。こうした長大な物語は、インドの長い歴史の中で人々の倫理観や世界観を共有するための枠組みとしてあり続けた。シタール奏者のラヴィ・シャンカルはマハーバーラタを次のように説明する。

あらゆるドラマやロマンス、ユーモアやパトス、空想科学や科学理論、人間のある美点や神の崇高さなどが示されている「わが音楽、わが人生」 ラヴィ・シャンカル 著(河出書房新社)

また経済学者・哲学者のアマルティア・センは、マハーバーラタがインドの道徳的政治的議論を巻き起こし、義務論と帰結主義の対立やその周辺に直接間接に現れる他の論点を議論するための土台として重要な役割を果たしてきたと語る。

宗教的文書としての「ギーター」はクリシュナの側に立っていると解釈されるものの、叙事詩としての「マハーバーラタ」はこの会話を大きな物語の一部として含み、両方の側にそれぞれの議論を展開する余地を与えている。実際、叙事詩「マハーバーラタ」は多くは悲劇として終わっており、死や大量殺戮を嘆き、「正義」の戦いの勝利は苦悩と悲嘆を伴っている。そこに、アルジュナの深い疑念への支持があるのを見落とすことはできない。「正義のアイデア」アマルティア・セン 著 (明石書店)

このように、マハーバーラタは長いあいだインドの人々に読み継がれてきた上に、時代を超えて普遍的に訴える力をもつ物語だった。その強度があったからこそ、ガンディーはギーターを通じて自らの思想を展開することができ、サティヤーグラハという言葉もその言葉の背景にある真理を求める姿勢も人々に受け入れられたのである。マハーバーラタは、インドにおける王道の物語である。

真理とは何か、私たちは何を拠りどころにして世界を理解するのか。この問いは東西を問わず人類の思想の中心にあり続けてきたが、西洋哲学はとりわけ「理性」をその核心に据えて発展してきた。とはいえ、東洋にまったく理性的伝統がなかったわけでも、西洋が一貫して合理的であったわけでもない。ただ、古代ギリシャ以来、西洋思想が理性を哲学・科学の基礎として鍛え上げ、それが中世・近代へと連続的に展開してきたことは確かである。その源流にあるのが、プラトンやアリストテレスの哲学であった。彼らにとって理性は、世界の秩序に接近し、真のあり方へ導く能力だった。宇宙にはロゴス(秩序・道理)が宿り、理性はそれと調和するかたちで真理へ至る。ここでの理性は、主体の内部に閉じた道具というより、世界そのものの構造と結びついた力だった。この古代の理性理解は、キリスト教神学の枠組みの中で再構成され、中世スコラ哲学として体系化される。しばしば「難解で形式的」と見られがちなスコラ哲学だが、その方法は高度に論理的であり、アリストテレス哲学の継承を通じて知識の基礎を厳密に問い続けた。また、後期スコラには唯名論や経験重視の潮流も見られ、自然観や認識論の変化を準備した点で、単純に“旧弊”として片づけられるものではない。しかし、16〜17世紀になると、古代と中世を支えていた「世界に秩序があり、人間の理性はそれに応答する」という前提が揺らぎはじめる。宗教改革、自然哲学の発展、大航海時代に伴う知識の拡張。多様な権威が衝突し、学問の基盤そのものが不確かになっていった。そこに登場するのが、ルネ・デカルトの『方法序説』である。デカルトはスコラ哲学を真っ向から否定したわけではないが、既存の学問体系が複雑化しすぎ、確実な基盤を失っていると考えた。彼が求めたのは「もう一度、出発点に立ち返ること」である。真理を求めるなら、伝統や権威ではなく、誰にとっても同じように働く“理性の正しい使い方”を見つけなければならない、と彼は主張した。『方法序説』の原題──「理性を正しく導き、学問において真理を探究するための方法」──が明確に示しているのは、真理探究の中心を主体の内部に据え直すという意図だ。ここにデカルトの革新がある。古代・中世の理性が宇宙や神の秩序に向けられていたのに対し、デカルトの理性は「主体の判断力」を出発点とする。

彼の有名な“我思う、ゆえに我あり”は、世界より先に、確実な真理としての自己の思考を置く。そこから明晰で判明な観念へと進み、それに合致するものだけを真理として受け入れる。この方法化・手続き化された理性こそが近代を特徴づけるものであり、科学的思考の基盤を形づくった。この意味で、デカルトはスコラ哲学と断絶したようでいて、実際にはその論理形式を継承しつつ、目的を全面的に組み換えた人物だと言える。スコラが宇宙の秩序に基づいて理性を働かせようとしたのに対し、デカルトはその秩序そのものを一度保留し、主体の確実性から体系を構築しようとしたのである。また、デカルトが「スコラ哲学や教会権威からの脱却」と語るとき、それは単に反抗ではなく、真理探究の自由を確保しようとする切実な試みでもあった。当時、ガリレオが地動説をめぐって弾圧されたことは象徴的であり、学問的議論が公には語りにくい雰囲気があった。デカルトが慎重な筆致で自説を述べたのは、この歴史的背景を考えれば理解できる。とはいえ、近代思想を「スコラ哲学という暗黒を破った理性の勝利」と描く物語は単純すぎる。歴史は進歩の一本線ではなく、複数の潮流が交錯し、時に失われ、時に復活しながら続く。スコラ哲学とデカルトの関係も、断絶と継承が複雑に絡み合ったものである。むしろ重要なのは、デカルトによって理性の意味が大きく転換し、主体的・方法的な理性が近代科学を駆動する原理となった点だろう。こうして振り返ると、西洋哲学における理性重視とは、単なる文化的気質ではなく、歴史的な必然でも偶然でもなく、さまざまな思想・制度・危機が積み重なって形づくられた結果である。古代の理性、中世の体系的理性、そしてデカルト以降の方法的理性──これらは単一の本質ではなく、異なる歴史状況の中で機能を変えながら連続してきた。真理探究の歴史を語るとき、東洋・西洋という枠組みに閉じる必要はない。だが、西洋近代において理性が中心的役割を担ったことは確かであり、その背景にはスコラ哲学との対話、教会権威との緊張、そしてデカルトによる方法的転換があった。その蓄積が、現代の科学的思考の基礎を成している。

もっとも、デカルトによる理性の「主体への転換」は近代科学を推進したという意味で画期的だったが、その影響は単純に肯定できるものではない。理性が宇宙や神の秩序(コスモス)と結びついた古代・中世的枠組みから切り離され、主体の内部における「確実性」へと拠点を移したことは、必然的に世界を「主体のための対象」へと変質させることになった。
 ニーチェやハイデガーが後に厳しく批判したのは、まさにこの点である。彼らは、主体が世界を測り、操作し、管理しようとするデカルト的視座が、自然や存在そのものを「計算可能な資源」へと縮減してしまう危険性を指摘した。理性の自律は、人間を解放したと同時に、世界を「意味のある秩序」から「単なる物質の集積」へと変えてしまったのである。さらに、この「計算と管理」への偏重は、長い時間をかけて近代そのものの足元を掘り崩す結果となる。

近代は当初、デカルト的理性を信じ、科学による進歩や普遍的解放という壮大な物語を描こうとした。しかし、世界を「確実な部分」へと分解し続けるその分析的手法は、皮肉にも「全体を統合する物語」の正当性さえも解体してしまった。20世紀後半、リオタールが「大きな物語の終焉」を告げたとき、そこで明らかにされたのは、もはや真理を保証する普遍的な基盤が失われ、知識の価値がパフォーマティビティ(効率・有効性)によって測られるようになったという事態である。 科学哲学が示すように、データの蓄積や計算の最適化は、必ずしも真理の統合を意味しない。確実性を求めれば求めるほど、私たちは「何が普遍的に正しいか」という問いから遠ざかり、価値観が乱立する断片化された世界へと踏み込むことになったのだ。

つまり、デカルトが求めた「揺るぎない基礎」は、皮肉にも世界をバラバラにする起点となってしまったと言える。理性の解放という輝かしい遺産は、世界を包括的に理解する言葉を失わせたという代償と背中合わせだったのである。今日私たちが直面する価値の多元化や混迷は、理性が「宇宙」という錨を失い、主体の内部で空回りし始めた、その遠い帰結なのかもしれない。

上記枠内は私の箇条書きの筋を元にAIに生成してもらい、その後いくつか相談して調整された結果できた文章である。目指していたのは、妙な説得力があるけどアクロバティックな展開におもしろみのある文章であったが、私はニーチェもハイデガーも、その他西洋哲学の書も読んでおらず、雰囲気しか知らないため、好き勝手に手を入れるには私の知識量では心許なく、そのまま貼り付けることにした。私の知らないことがAIによって補強された面は多々あるが、ともかくAIが生成した程度には間違っていないはずである。

AIの文章で言わんとしていることは、

であり、そのあたりを抑えた上で、以下の私の主張を聞いてほしい。

リオタールは『ポストモダンの条件』において、「大きな物語」の凋落を指摘し、我々はもはや普遍的な歴史や真理を語れず、個々人の「小さな物語」や局所的な言語ゲームに頼らざるを得なくなったと論じた。これについて私は現状認識としては同意するが、その捉え方は異なる。近代が信奉してきた「大きな物語」は、人間の認知の限界に合わせて調整されたちょうどいいサイズの中途半端な物語に過ぎなかった、というのが私の見方である。

デカルト的な理性が開いてしまった世界像は、あくまで人間が明晰判明に理解できる範囲で切り取られた箱庭──もしくは世界の複雑さや深淵を手頃に整理するための縮図、結果的に言えば、ギーターが指摘する「迷妄」(jump)を生むための装置に落ち着いてしまった。「大きな物語の終焉」と言われてから何十年も経った現代でさえ、未だに「中途半端な物語」に人々はしがみつこうと必死に見える。むしろ「大きな物語の終焉」とは、実在する世界という、到底理解不能な超でっかい物語を前にして、その箱庭があまりに狭小だと露呈してしまったことだと言った方が見通しが良いだろう。
 ここで「デカルト的な理性が開いてしまった世界像」と「デカルト」自身とは切り離して考えたい。先のAIの文章を真面目に読むと分かる通り、デカルトはキリスト教世界観という当時の「大きな物語」から脱却するための方法として「理性」を使うことを考えた人物である。「理性」への偏重は問題であっても、「理性」自体を否定する必要はない。

我々が属しているのは、「大きな物語が消滅した世界」ではなく、「到底理解しきれない超巨大な実在の物語のごく一部に触れているだけの世界」である。この視点に立てば、近代的理性が追い求めてきた明晰さや確実性は、世界のほんの薄片しか捉えられず、真理への接近にはすでに限界を感じる。まして理性は、世界を都合のいい解釈を与えるフィルターへと容易に転じてしまう。いま世界と向き合うには、意識的な分別ではなく、無意識を通じた根源的理解──理性に収まらない"世界の手触り"を受け取る感受性が必要であろう。それによって自己の深層から巨大な全体性に接続し、世界の実在をありのままに受け止め、生や存在、歴史を讃えることができる。この態度こそ、現代における真の「王道」と言えるだろう。

なお、荒木飛呂彦は真理という言葉は使わず、『真実』と言う。英語に対応させると「真理」は truth、一方「真実」は fact や reality にあたる。ただし、荒木飛呂彦の使う『真実』は truth の意味に近く、その意味では、哲学的な真理とほぼ同じニュアンスに感じる。「真理」という言葉はどこか観念的な響きがあり、より実在としての有り様を強調させるために『真実』という言葉が合っているように思う。

デカルトは「理性」によって真理を探求する方法を提示したが、荒木飛呂彦はマンガによって真理の探求を実践しているようだ。JOJOLOGY本編を読んでいただいたならば『ジョジョの奇妙な冒険』が上述の意味で「王道」であることに納得いただけることを期待する。